トルコ・イスラーム世界の文化・文明ビジョンはいかにあるべきか

1867~71年にパリ、ロンドン、ジュネーヴに滞在したズィヤー・パシャは、ある詩のなかで、

「気概ある男には狂信の汚名が着せられ
無信仰の者を重んじる風潮が新たに生まれた

イスラームこそが国家の進歩の足枷であるという
かつてなかったこの言説が新たに生まれた」 (1)

と詠んで、自らが属する文明圏の尊厳を擁護し守る一方で、別の詩ではあたかもトラウマを経験したかのように、 

「不信仰の国々を巡り、町々に壮麗な館を見た
イスラームの地を巡り歩き、ただ廃墟ばかりを見た」

と詠んで、イスラームという宗教とその文明全体の幾千年にわたる蓄積に、無慈悲な判決を下している。館のなかの廃墟を見ることのできないわれわれの知識人は、廃墟だと思い込んだ館を見ることもできなくなり、東洋と西洋の文化世界の間で決断できず、態度を定められず、途方に暮れた状態にとどまっている。

250年にわたる西洋化の冒険の始まりから今日に至るまで、われわれは社会として自らの文明、自らの価値に背を向け、自分自身を疑うようになった。既存の文化の破壊と遺産の拒絶(レッディ・ミーラス)という現実が、われわれを今日の地点へと至らせたのである。新たな建築と都市文明を創出するためには、まず、われわれがその所有者であり継承者である文化と芸術の遺産の価値に気づき、伝統とは何であり、何でないのかを——正しく—— 把握し学ばなければならない。日を追うごとに、モスクだけでなく、新たに建てられるあらゆる建物、都市計画の活動、修復によって伝統が損なわれ、千有余年にわたって丹念に築こうとしてきた都市文明が破壊され、荒廃させられているのである。

トルコ・イスラーム世界の都市計画と建築の問題は、独立した主題ではなく、同じ枠組みのなかで考察されるべき、鎖の環のようにつながったひとつの文明の問題である。われわれの問題を論じる際、例えば「モスク」という語を取り除き、その代わりに 「文化、芸術、文学、音楽、新しい住居、保存と都市計画に対するわれわれの考え方」 といった語を置いたとしても、与えられる答えは 何ら異なるものとはならないであろう。 この点から、われわれは問題に対して多角的かつ総合的な視点をとることにした。建築と都市文明をいかにして再生産できるかが問われるとき、この問題には特別な処方箋がないため、 「トルコの文化政策はいかにあるべきか、 その建築において、都市化と保存の戦略において、世界  および  文明のビジョンはいかにあるべきか」という根本的な問いに答えなければならない。

正しい都市化、新たな建物の生産、そして正しい保存政策は、 深い哲学的アイデンティティとビジョンをもって はじめて打ち出すことができる。 根源への深いまなざし なくして、この ビジョン はあり得ない。この基盤をつかむことなく行われるあらゆる新しい建物や事業、あらゆる修復は、 模倣となり、われわれにとって異質なものにとどまるであろう。

われわれは自分自身を知っているか?

われわれがその所有者であり継承者であると主張する文化と文明の圏を、われわれはどれほど知っているだろうか。文化的な深みと情熱 を知らないビジョンから、創造的な作品を期待することはできない。今日、世界にその刻印を残すと主張し、自らの存在を際立たせている国家の出発点は、 自分自身、その歴史的蓄積、そして 文化・芸術の世界である。 われわれの文化は 平凡なものではなく、客観的に見ても真に計り知れない価値をもつ、高度な文化と文明の資質を備えた独自の文化である。 文化においては 深みの、 建築においては 繊細さと優美さの、文学と音楽においては 豊かな表現と意味の深さの、 書と装飾においては 忍耐と気品の、要するに芸術のあらゆる分野において 簡素のなかの壮麗さの 範例を示してきた、独自の文化をもつ民族なのである。この ビジョン が広く全体を包み込み、開かれたものであればあるほど、世界から受け入れられるであろう。このことはわれわれの文化と文明のなかに十二分に 存在して おり、 発見されること を待っているのである。

古典絵画 を学び消化することなしには 現代絵画 の芸術において存在感を示すことができないように、まず自らの文化と芸術を把握し、 文化的コードを正しく読み解くことなしに、新たな傑出した作品を生み出すことも、 解釈と様式化 (スタイライゼーション) へと進むこともできない。われわれが継承者である文化遺産を、頽廃に陥ることなく、 模倣に走ることなく、 伝統の鎖を考慮しつつ、 新たな解釈をもって 今日の条件のもとで再び、しかし 正しく 生み出さなければならない。

オリエンタリズムのまなざし

オリエンタリズムの歴史的背景を見ると、西洋はイスラームを決して 「文明」 として認めてこなかった。この枠組みのなかで、とりわけトルコ・イスラームの文化と芸術を、アラブやイランにおける地方的な色合い にすぎないものと見なし、 セルジューク・オスマンの経験によって 築かれた われわれの文明、その文化と芸術を、とりわけ 「他者をつくり出すことなく、明確に反植民地主義的であり、他の宗教や  文明を包摂する性格をもつがゆえに」敵と見なして、 ほとんど「存在しない」ものとして扱ってきたのである。

オリエンタリズムの 「イスラームは文明をもたない宗教である!一方キリスト教は文明を生み出す宗教となった」 という歪んだ考えを、過去においてそうであったように賢明な政策によって、ただトルコのみが転換させ得るのである。歴史のなかで経験してきたトラウマにもかかわらず、そしてあらゆることにもかかわらず、われわれは今なおこの潜在力を有していると考えている。トルコを、世界史のなかでのその地位とともに、その文化と芸術によって語り、この文化を再び生み出すことが不可欠である。  文明の衝突に代わって、文明 と文化の出会いと融合を確保するために、歴史と伝統と、モダニティと現代技術との間に、 美的な共通性による結合と接点 が探求され、正しく定義されなければならない。文明の衝突ではなく、人間であることの尊厳と名誉の要請として、文明が互いに何を与え、何を受け取ることができるかを、ふさわしい言葉で語ることのできる経験を、われわれは有しているのである。

ムスリムのまなざし

われわれが継承者である 経験によって、セルジューク文明とオスマン文明の、幾世紀を経て濾過されてきた文化的蓄積の結果として成熟したわれわれの生活・文化・芸術観は、西洋化の結果として否定的な影響にさらされたとしても、その本質(酵母)は健全である。 イスラームを心の底から受け入れて消化し、この天啓の  崇高な宗教を、自らのうちに 外面(ザーヒル)と内面(バーティン)とをもって、すなわち 本来の姿のままに生き、実践し、幾世紀の経験によってそれを証明してきた寛容な文明が、世界に伝え得るメッセージは数多くある。今日の血を流す傷であるエルサレムにおいて、エルサレム城塞の市場門の上に「ラー・イラーハ・イッラッラー、イブラーヒーム・ハリールッラー」 と書かせ、イスラームのタウヒード(唯一神信仰)の原理に基づく「真の宗教」としてのアブラハムのハニーフの宗教への帰属を優雅に強調したスレイマン大帝(カーヌーニー)は、このビジョンの、すなわちタサウウフの用語でいえば「真理(ハック)の威厳(ジェラール)と美(ジェマール)の顕現という点において」、 「真にムハンマド的なる者」であることの最も重要なメッセージを示したのである。オスマン時代には、公的な多くの文書において「レアーヤー・ヴェディアトゥッラーフトゥル」という文言が用いられた。この歴史的な言い回しは、「アッラーの僕たる納税民」、「共同体」、「民衆」、「人々」の意味で用いられる用語である。「ヴェディア」とは、所有者の所有に留まることを条件に保管のために預けられる物であり、「レアーヤー・ヴェディアトゥッラーフトゥル」という表現によって「統治下にある民はアッラーからの預かりものである」という意味が意図されている。この理解のもと、スレイマン大帝の時代に行われたエルサレム城壁の修復において、今日もなおその場に残るバーブ・アル=ハリール(ハリール門)の内側に碑文として、ムスリムの信仰告白(カリマ・タウヒード)である「ラー・イラーハ・イッラッラー・ムハンマドゥン・ラスールッラー」という文言の代わりに、「ラー・イラーハ・イッラッラー、イブラーヒーム・ハリールッラー」という文言が記された。こうしてエルサレムが三つの宗教に属するという特別な地位が強調され、相違を口にすることなく共通点の上に合意が求められ、この理解と視点は「可能な限り力に訴えることなく」門の上の碑文によって記録されたのである。

今日、ヨーロッパの歴史に方向を与え、それとともに生き、 歴史、宗教、文明が混ざり合う地において、同化を考えることなく、あらゆる信仰とアイデンティティを尊重し、その権利を守る統治のあり方によって、 ヨーロッパの歴史と文化において顕著な役割を果たしてきたトルコを——たとえ、この生きられた精神と経験だけであったとしても——全世界が必要としている。われわれが幾世紀にもわたって慣れ親しんできた多文化性に、ヒューマニストを自任する「西洋」は、ようやく出会い始めたばかりなのである。

問題はどこにあるのか?

これを成し遂げ得るトルコには、すべてが互いに結びついた 三つの大きな問題 がある。「文明、 精神性、質と真摯さ」である。 この三つの基準のいずれかひとつでも欠けていれば、新しい建物やモスクに限らず、いかなる事業であれ成果をもたらさないであろう。このように方向が十分に定まっていない努力や活動は 混ぜ物であり、偽物であり、 すなわち「贋金」のようなものである。

共和国の歴史を通じて だけでなく、 250年にわたる 西洋化の時代以来建設されてきた宗教建築と民間建築における、 気品を欠いた姿勢と誤った実践、そして問題の精神に浸透し得ない施工の結果、 損なわれていないトルコ建築の 保存と再生産は不可能となってしまったのである。

オスマン・トルコ芸術は、 イスラームの あらゆる理知的・心的な細部を芸術のあらゆる分野において完全に表現した、イスラームの世界観と宇宙認識を 言い表す フィトラ(天性)とヒクマ(英知)の芸術である。フィトラとヒクマの芸術と言うとき、われわれはそれを、民族性や文明的資質の意識を超えたひとつの価値として表現したいのである。存在の本性であり、「裂くこと、創造における目的と本質」を意味する「フィトラ」、そして「正しく的確な判断、創造の目的への適合、神の意図」を意味する「ヒクマ」の反対は、「無意味で、空虚で、目的のない」ことを意味する「アバス」である。それゆえ オスマン・トルコ芸術 は、あらゆる宗教と気質の人々の魂に温かく響く芸術なのである。

先人たちの価値体系のすべてを継承し、自らのものとした後にこそ、古きものの模倣ではない新たな総合によって、独創的な提案と創作を打ち出すことができる。オスマンの作品は決して互いの模倣ではなく、それぞれが独立した人格と固有性をもっている。われわれの過去に属する価値を正しく読み理解し、未来のためにそれらを改めて分析し、先入観なしにこの高度な文明の蓄積から学ぶ必要があるのではないだろうか。われわれのあらゆる怠慢と無関心にもかかわらず、歴史のなかでわれわれはホッテントットやズールーの部族ではなかったのだから、過去の重圧の下に押しつぶされることなく、「正しい」未来のために、 伝統の鎖を断ち切ることなく 努力し続けなければならない。

周知のとおり、民間建築とともに公共建築やモスク建築もまた惨憺たる状態にある。年間500~1000のモスクが建てられる国において、これがひとつの社会的事実であるならば、なぜ独立した主題としてわれわれの大学で取り上げられないのか。西洋化の結果としてわれわれが記憶を失ったのならば、再び思い出そうと努めるべきではないだろうか。

建築学部や修復学の講座では、 オスマンの宗教建築と民間建築の 創作と構成について研究は行われず、 アルシュン が何センチであるか、建築構成の原理とは何か、オスマンのカデムという尺度がアルシュンの何分の何にあたるか、われわれのものである 「カデム(足)」、そして「パルマク(指)」が、イギリスの尺度単位においていかにして「フット(foot)」 と「インチ(inch=指幅)」になったのかは語られない。1アルシュンが24ボウン(節)、60パルマクであるのに、なぜ1日は24時間、1時間は60分、1分は60秒なのか、長さの尺度体系と時間との間になぜ、どのような関係があるのか、なぜ古い日時計において時間の最小単位が6秒、すなわち人間の一呼吸なのか、疑問に思われることもない。モダン、ポストモダン、ルネサンスやバロックの様式は教えられるが、 トルコ・イスラーム様式 とは何かは語られない。イギリス風景式庭園、フランス整形式庭園、日本庭園は教えられるが、トルコ・イスラーム庭園 は教えられない。ムカルナスや、ペンジー、ヘムゼ、ミュマースのアーチがいかに描かれるのか、その名前すら聞いたことがなく、アルシュン、比例、調和、均整とは何かさえ知らず、知ろうともしないわれわれの大学の建築学部や土木工学部を卒業するだけでは不十分であることを、あらゆる種類のわれわれの建築ストックが証明している。これはひとつの文明の問題であり、知識、洗練された趣味(ゼヴキ・セリーム)、見識に加えて、 蓄積と叡智の獲得(ケスビ・マーリファト)の営みなのである。

われわれの西洋化の冒険

われわれは自らの本来の精神世界を、わずか80年の共和国時代においてだけでなく、250年にわたって失ってきた。1730年代に始まった西洋化は、生活のあらゆる領域にゆっくりと浸透していった。経験してきたトラウマによって、われわれは真理と本来の自己を衣服の裏地のなかに見失った。失っただけでなく、あらゆるものを盗まれてしまった。  われわれの認識を、事物へのまなざしを、世界観と文明観を、気品を、そしてついには信仰と信念をも失ったのである。そう、古典期以後、われわれは独自の建築を発展させることができなかった。どうしてそれが可能であったろうか!この国ではかつて、モスクに長椅子を置くことさえ検討されたのである。われわれ固有の建築言語による住宅、家、学校、病院、市場がそもそもあるだろうか。ましてやモスクがあろうはずもない。西洋化の時代に建てられたヌーロスマニエ、ヌスレティイェ、ドルマバフチェ、オルタキョイ、およびそれらに類するモスク群、ドルマバフチェ宮殿、ベイレルベイ宮殿、そしてその他の建物を考えるとき、その装飾に用いられた書道の作品を目で取り除いてみてほしい。建物として、様式として、どこがわれわれのものであろうか。共和国以前には、ルネサンス、バロック、ロココ、アンピール、あるいは折衷様式でモスクや宮殿、建物を造り、その後はバウハウス、キュビスムなどである……。大規模な宗教建築や公共建築に始まったこの好奇心と熱意は、しばらくすると民間の住宅建築にも影響を及ぼした。当時の新しい芸術潮流をわれわれ自身の信仰と文化のコードへと移した、このような歪んだ翻訳が——本来の中心をいくらか保っているとはいえ——他の民族にあるだろうか。

パリのノートルダム大聖堂を、ロンドンのウェストミンスター寺院を、ケルン大聖堂を、バッキンガム宮殿、エリゼ宮、シャルロッテンブルク宮殿を古典オスマン建築の様式で思い描くことができるだろうか。オーウェン・ジョーンズは1868年に刊行された『装飾の文法(Grammar of Ornament)』という著作のなかで次のように述べている。「より近年において、ヨーロッパの芸術家の作品であるにとどまらず、最も好まれたヨーロッパ風に設計された近代的な建物や宮殿によって、トルコ人は祖先の建築様式を捨て、当時支配的であった建築の流行を受け入れた最初のムハンマド教徒の民族となった」。

およそ三世紀にわたり、トルコの人々は新たな研究や問いかけから逃れ、 西洋から来るものをより重んじ、自らの本来の文化をわがものとすることをためらうようになった。過去の豊かさとその刷新可能性によって、文化のあらゆる領域において、より個性的で、はるかに優れた地点に立っているべきであるにもかかわらず、 生産はほとんど完全に凍りついてしまった。セルジューク朝以来これほど豊かな源泉のなかにあって、 比類なき文明の奇跡の総合である、成熟した都市・建築・文化観において、今日の素材と技術的可能性をもって、自らの言語を謳い上げる 新たな創作 へと進むことはできなかったのである。

アイデンティティの問題

1950年以降の急速な都市化により、歴史的な都市組織は破壊され、 500〜1000年にわたる 歴史と文化の蓄積は無残に浪費され、都市はその有していた文化的アイデンティティを脱ぎ捨て、文明を失って村落化したのである。この点において、「グローバル文化、すなわちモダニティの」 忠実な都市として、かつての我々の文明の中心地であった エルズルムとコンヤ、スィヴァスとマニサ、ディヤルバクルとブルサの  間にはもはや違いがなくなり、地域の色彩、気候や素材の違いは顧みられることなく、他の居住地も含めて、 グローバル文化の凡庸さの中で、個性もアイデンティティもなく、幾世紀もの文化を脱ぎ捨て、また剥ぎ取られた裸の、 大小の村落と化したのである。アナトリアのあらゆる都市とともに、とりわけイスタンブルがその影響を被った。 この点で町と村の文化 もまた破壊され、都市を都市たらしめ、モスクをモスクたらしめ、家を家たらしめ、「住人を同郷人たらしめる」 価値の体系は、小銭のように浪費されてしまった。今日イスタンブルで誰に尋ねても、自分はエルズルム出身だ、トラブゾン出身だ、スィヴァス出身だ、ディヤルバクル出身だと答える。  同郷会の看板に閉じ込められた同郷意識の後には、哀れで素朴な帰属意識以外に何も残っていない。同郷意識でさえ、今や同郷会の看板に閉じ込められてしまったのである。何よりもまず、この「文明への所属と帰属」が明らかにされねばならない。歴史的建造物の保護と文化の再生産は、我々の記憶を新たにし、 共通の意識を形づくる価値を守ることによって文化を保持するという点において、極めて重要である。

第二次世界大戦中の爆撃で石ひとつ残らなかったロンドン、ベルリン、プラハ、ウィーン、ワルシャワ、東京の歴史的建造物が、 往時の姿に完全に忠実に、 異なる技術を用いて ほぼ再建されたにもかかわらず、そのような破壊を被らなかった我々の都市の歴史的建造物が、爆撃よりもひどい形でその歴史的・文化的特質を失っていることは、残念ながらもはや誰をも悩ませることなく、当たり前のこととなってしまった。

歴史の中の取るに足らない 部族のように 自らの内に閉ざされ、 普遍的な文化と文明を 生み出し得なかった民族であったならば、この事態もあるいは理解できたかもしれない。歴史の流れの中で 1000年以上にわたって、壮麗な文化の範例を示してきた民族の、とりわけ1950年以降の文化と芸術におけるこの 惨憺たる有様、歴史的都市組織、そして新たに建設された居住地の哀れな状況を説明することは不可能である。イスタンブルをはじめ多くの町の 固有の民間建築である木造・石造・日干し煉瓦造の建築ストックは、ほぼ完全に消滅したも同然である。前世紀の木造のイスタンブルから残る、城壁内の木造建築ストックは、残念ながら千分の一の割合にすぎない。しかもそのほとんどすべてが19世紀のものである。既存の文化がこのように破壊され、 遺産の拒絶 という現実があることこそが、モスクであれ住宅であれ公共建築であれ、ほぼあらゆる建築類型において、とりわけ1950〜1960年以降、我々が質の低い建物を生み出してきた主たる原因となったのである。

我々は保護しているのか、破壊しているのか?

今日、パリ、ミラノ、プラハ、ロンドンの民間建築作品が都市組織全体とともにほぼ完全に保護されているにもかかわらず、 西洋化以前の我がトルコ民間建築 については、イスタンブルには、朽ちて茸に覆われた哀れなアムジャザーデ・ヒュセイン・パシャのヤル(水辺の邸宅)とイェニ・ジャーミィのヒュンキャール・キョシュキュ(スルタンの離宮)以外に、オリジナルの 第三の作品 は残念ながら残っていない。 トプカプ宮殿や古典期のモスクをはじめとして、我々の宗教建築と民間建築は 不適格な者の手による修復で破壊されてしまった。もはやこれらの作品が オリジナルのスィナンの建物であるとか、古典オスマン建築を代表しているとか語ることは困難である。セルジューク朝の作品の惨状については、言及するまでもない。同時期、あるいはそれ以前に建てられたアンダルスの作品が、今日のスペインにおいて、自らの文化圏に属するものではないにもかかわらず極めて良好に保護され大切にされているのに対し、我々の作品の多くは誤った修復によって無残な姿となり、また多くは遺跡と化している。

法律に加えられるべき 改正と同様に 現在の我々の保護の考え方と新しい建物の建て方も、先入観のない有能な人々によって、ワクフ総局、環境都市計画省、宗務庁、文化省、そして大学の主導のもとで 改めて問い直され 、世界の事例を考慮しつつ 再構築されねばならない。この点で監督の任を負う保護委員会の新たな再編が不可欠である。問題は個人とともに制度にあり、 保護の考え方と新しい建物の建て方そのものにある。現在の考え方が続くならば、二十年後には、無残なモスクや宗教・民間建築の 奇怪な修復の保護 が議題に上ることになろう。

西洋化の影響

1740年代以降 文化的・精神的侵略の結果として退廃が始まり、 西洋化 はいわば生活のあらゆる領域にゆっくりと浸透し、その姿を現し始めた。西洋化時代の宗教建築・民間建築は、実際には今日のような 盲目的な模倣ではなく、バロックやロココなどの 新しい芸術潮流の、 我々自身の信仰と  文化のコード への歪んだ翻訳と呼びうる、「本来の中心を保持した」、西洋化の影響下にありながら完全には屈服していない新たな解釈である。しかしそれは病を抱えた、我々自身の精神の根源にとって異質な様式なのである。

30年代、  40年代に アンリ・プロストの 誤った計画によって描き出された新しいイスタンブルでは、これらの計画は戦争のためにすぐには実施されず、1950年以降、残念ながら故メンデレスの手によって実施に移された。イスタンブルを手本としたアンカラには、 ヤンセン の計画によって 新たな相貌 が与えられ、その後 我々のすべての都市が無計画な発展と歴史的建造物の破壊 の後を追うこととなった。

まず 自らの文化と芸術を理解し、文化的コードを正しく読み解くことなく 行われる新しい建物、モスク、修復、都市計画上の介入は――新しいものを正しく生み出すことはさておき―― 古い作品と古い都市組織を破壊する以上の活動にはなりえない。

トルコの地理的位置と 歴史的建造物の量は、多くの社会が 羨むほどの多様性と数を誇る。五十年来の我々の怠慢と無関心によって、 とりわけ民間建築の作例 をはじめとして、次々と我々の手から失われ始めたこの優れた 建築ストックは、文化遺産であることを超えて、この土地への 帰属を感じさせ、この土地が誰に属するのかを明らかにする 決定的な遺産である。これらを正しく読み解くことなしに新しい建物を生み出すことは不可能であり、ありえないことである。

文化と人間

一民族の 人格とアイデンティティはいかにして現れるのか。これについて 思考する能力を失った 民族は、 保護の考え方 においても、正しい新しい建物を建てる能力とともに――とりわけモスクにおいて――新たなビジョンを持つこともできない。持ったとしても、それは欠陥のある、病んだものである。今日の正しい建物を生み出し保護する意識における弱さとは、長期的な決意と忍耐を要する活動が絶えず先送りにされ、破壊に目をつぶって一時的な対策で自らを慰めること、さらにはとりわけセルジューク朝・オスマン朝期の建物について、この 問題に関する信念が真の意味で一度も 存在しなかったことである。

人間は文化的存在である。文化をもたない人間は存在しない。文化財は変わる。しかしその文化財、すなわち文化遺産が 人間とその属する民族に もたらした 人格 は変わらない。人間は変わらない人格をもって、 変化する文化の世界に 適応しようと努める。変化する文化の世界に対する人間の 正しい態度 を形づくり、人格を守る闘いにおける 最大の拠り所となり、変わりえない人間と変化する文化との間の 均衡を保つもの、それは幾世紀を経て濾過されてきた 文化遺産である。 過去は過ぎ去ってはいない。チャーチルの的確な指摘のとおり、 「人は過去を遠く振り返るほど、未来を遠くまで見通すことができる。」

保護を知らぬ者に、新しいものを生み出せるのか?

保護と伝統とは、幾世紀の経験を未来のために保持することを意味する。建築遺産と芸術作品は、それが属する民族の 内奥にある  高貴さの尺度として、幾世紀の蓄積を顕すものである。文明とは、選び取り、正しく生み出し、保存し、評価し、再利用することを知る、教えられ、また感受性をもって環境から学ばれた高貴さの所産である。歴史的遺産の正しい保護と文化の再生産は、建築家、アーカイブ、研究所、委員会といった学際的なチームと 関係を正しく構築すること、そしてそれらの数を増やすことにかかっている。これほど長年にわたり、今日までの実践において、 建築家―設計―保護委員会―施工 – 監督という順序における関係、そして新築と保護のプロセスは、ほとんど 否定的な結果以上の注目に値する 新たな 作品 ――修復であれ復原であれ ――を 生み出すことができなかった。

今日、残念ながらドームとアーチはイスラームに属する象徴とみなされている。ドームを象徴たらしめるのは、ドームやアーチそれ自体ではなく、その建築家の技量である。新しいモスクや一部の公共建築は、文化と趣味の退廃の型にはまった見本として、おそらくは変化する世界の文化的・精神的侵略への反発から、古典様式と称して建てられている。これら戯画的なモスクやその他の建物のドームとアーチは、ありえない比例と形態で建設されている。

今日通用している考え方では、歴史的建造物はほぼ完全に刷新され、作品の、ひいては素材の 歴史に対する証言性、 建築的細部 そして年齢が無視され、経済的な商品以上の精神と意味を付与することなく、作品の人格を無視し、素材の上を流れた時の痕跡と歴史的特質を消し去り、 作品を本来属さない人格にまとわせる という在り方が、あたかも代替のない 流行 のようになっている。20世紀に至るまで、建物は修理されたのであって、修復されたのではなかった。芸術家と建築家は、自らに委ねられた建物を、改めて学び、読み解き、正すべき作品として見てきた。もし我々がこの伝統を継承できていたならば、今日、新しい住宅やモスクの惨状や、新しいものをいかに建てうるかを議論することはなかったであろう。オスマン朝には修復家はおらず、メレンメトチ(修繕職人)がいたのである。今日の日本には、7世紀・8世紀から残る、日本人が世界最大の木造建築と誇る 東大寺や伊勢神宮 のような木造建築がある。これらの作品は、古くなった部材が二十年ごとに解体され、同じ素材で製作されて、同じ技術と方法で元の位置に据え付けられてきたために、時が素材に刻んだ意味も失われることなく今日まで伝わることができた。我々の国には、これにふさわしい建物は一つもないのだろうか。我々はこの保護の考え方を必ずや問い直さねばならない。  作品をその平面と現存する細部の双方において本来の姿のままに生かすという原則は、ほぼ完全に無視され、作品は 歴史的な装いから 切り離されて、新しく異質な装いを 強いられて いる。新しいモスクをいかに建てるべきかを議論する際には、既存のものをいかに見るべきかもまた疎かにしてはならない。 古いもの、すなわち歴史の中で生み出されたものを見ることを知らぬ者は、新しいものもまた生み出すことはできない。

過去の模倣

中国の哲学者タオ・テの定義によれば、「建築の目的は建物の壁の内にある空虚である」、すなわち空間である。「ファナーとバカー(消滅と永続)」、「存在と非存在」に関わる存在論的基盤を超えて、空間は人間に及ぼす作用と感受によって、目の喜びとともに精神の均衡をもたらす。我々の建築史・美術史において、翻訳臭のする、自らの文化から疎外されたほぼすべての解釈は、建築が創作と構成の芸術であるという事実からではなく、オリエンタリストの視点からなされたため、模倣と反復とは何かということもまた、残念ながら正しく検討されてこなかった。

例えばシェフザーデ・モスク、スルタンアフメト・モスク、イェニ・ジャーミィ、ファーティフ・モスク、そして新しいとされるコジャテペ・モスクも含め、いずれも正方形平面で中央に四つの半ドームを持つ、すなわち同じ平面形式を有している。しかし内部空間と外部空間の印象において、まったく別の建物である。ベシクタシュのスィナン・パシャ・モスクは、エディルネのユチ・シェレフェリ・モスクと同じ平面を有している。三本の階段を持つ最初のミナレットはユチ・シェレフェリ・モスクで試みられた。ミマール・スィナンもまたセリミエにおいて三本の階段を持つミナレットを建てた。では、ミマール・スィナンはエディルネのセリミエでミマール・ムスリヒッディンを模倣し、スレイマニエでバヤズィト・モスクを複製したと言うのであろうか。  すべての人間の四肢は同じであるが、誰一人として互いに似てはいない。似ていたとしても、人格と魂はそれぞれ異なる。この統一を実現するためには、建物のあらゆる点と細部が解決されるよう努めねばならない。様式の統一性の観点から、いかなる製作も、設計段階はもとより製作の過程においても、職人や工芸家の判断に直接委ねられてはならない。我々の建築史における文化的断絶の後、とりわけこの50年来、建物が基礎から煙突まで、絨毯から扉の把手に至るまで統一性を示すという伝統から、残念ながら我々は断ち切られてしまった。忘れ去られたこの様式と趣味の統一性を再び捉えようと努めるべきではないだろうか。

モダニティと伝統の解釈

今日真剣に受け止めうる芸術様式とは、簡素化され様式化された考え方である。「モダンな建物」「モダンなモスク」という言葉を、我々は意図的に用いていない。なぜならモダニティとは、今日の意味と姿においては、唯物論的な西洋文明の事物の見方、世界認識、事物に対する歪んだ存在論的・知的アプローチの名だからである。各人の「モダニティ」は模倣ではなく、自らの価値から出発した「自分なりの」ものでなければならない。古典オスマン建築にその表現を見いだした、我々が簡素化された芸術と呼ぶこの考え方は、我々がいかなる価値の体系を有しているかを示す最大の証左である。古典的な民間建築と宗教建築の建築要素を、正しい解釈と理解によって様式化し、スタイライズすることができれば、我々は人格を失うことなく、新たな創作によって簡素化された芸術の最も美しい作例を示すことができる。なぜなら、建築から細密画に、エブル(マーブリング)から装飾、書道芸術に至るまでの 古典芸術の本質には、様式化・スタイライゼーションの弁証法的ダイナミズムが存在するからである。文化の変質ゆえに、このダイナミズムに気づくことができず、我々はあらゆる建築的貧困に甘んじるようになってしまった。

西洋であれ他の何であれ、それが模倣されるとき、建物や物品や振る舞いだけが複製されるのではなく、精神と思考の世界もまた根づく。その結果、自らの本来の価値を古いもの、模倣だとレッテルを貼るのである。模倣することと、失われたものを探し求め見いだすために考古学的発掘のような仕事をし、建設することとは別物である。この二つの点が十分に理解されていないために、互いに混同されている。モスクだけでなく、あらゆる事柄において、「なぜ250年来、我々に固有のまともな生産がないのか」――問い直され議論されるべきはこれである。

古来の伝統における「ハーシヤとシャルフ(注釈と註解)」とは、言及し、解釈し、敷衍することによって、古来の根源的な本来の文化の価値体系、その根本テクスト、根本思想とテクストによって規定された文明の構想を生き生きと保ち、「過去は過ぎ去ってはいない」という理解のもとに過去を今日へと伝えて保護し、「今」へと翻訳することを意味する。「進歩主義的」な考え方によって「モダニティ」を通じて形成された今日の我々の思考世界が、これを受け入れることは困難である。しかし、幾世紀を経て濾過されてきた既存の価値体系を顧みない文明の構想においては、帰属と所属はもはや定義しえないものとなり、その参照点は別の方向に向けられ、あるいは異なる軸へと移ってしまった。自らの公理、不可欠なもの、参照点を失った文明は、事物への眼差しを表現し、新たな言語で語るための新たな言葉を必要としている。

例えば、その本来の機能からすればムスリムにとっての礼拝所――礼拝が行われる場――であるモスクは、イスラーム文明の中心であり心臓である。イスラーム神学において礼拝は信徒のミウラージュ(昇天)と表現される。急速にグローバル化する世界において、普遍的な一神教の信徒にとって、今日モスクを建設することが問題となるとき、疑いなく、まずイスラームの伝統と「モダニティ」との間の美的な共通項が何であるかを、次いでこの美的な共通項が、信徒のミウラージュである礼拝が捧げられる、イスラーム文明の中心であり心臓であるモスクにいかに反映されるべきかを見定めなければならない。さらに、同じ繊細さを公共建築や住宅においても示すべきではないだろうか。「キッチュと折衷主義」に陥ることなく、我々自身の新たな建築言語を発展させることはできないのだろうか。

イスラーム芸術とは何か、いかに区別されるのか?

イスラームの礼拝の場であるモスクは、その壁とドームによって"宇宙"の象徴である。地上のすべてのモスクは  "キブラ"に向けられている。宇宙の焦点である カアバは、人類最初の聖殿でありキブラである。カアバは、真実在(ハック)と親しくあるべき"人間"に、その創造の目的と秘義を想起させ、本来の故郷から疎外されないことを諭す神的な導きの象徴である。

葦原から切り離されたがゆえに別離を嘆く"ネイ"のように、人間の本源がこの世界に属さないのと同じく、  カアバもまた、タウヒード(神の唯一性)と神の御力の内奥の意味に満ちた、彼岸の世界のしるしである聖なる建造物である。人類最初の聖殿であるカアバが預言者ムハンマド(彼に平安あれ)に再びキブラとして定められたこと、すなわちユダヤ教やキリスト教といった他の啓示宗教のキブラであり、イスラームの初期にも"キブラ"  と定められていた アクサー・モスクからカアバへの転換は、預言者ムハンマド(彼に平安あれ)が"ハーテムル・エンビヤー"、  すなわち"最後の預言者"、そしてイスラームが  "最後の真の宗教"であることの神的な確証である。預言者のミウラージュ(昇天)が、アクサー・モスクへの旅である「イスラー(夜の旅)」の出来事に始まり、そこから昇天へと至ったこともまた、この真理を示している。

イスラームの啓示のタウヒード信仰は、霊的世界をこの世に反映させるにあたって、被造物の形態ではなく、物質の本質にその反映を見いだす幾何学とリズム、基本構造が用いられ、量ではなく質と人格を表現する、ムシャッハス (具象的) ではなく、ムジェッレド (抽象的) な芸術の認識を打ち立てた。トルコ・イスラーム芸術は、物質に高貴さを与えるムジェッレド (抽象的) な芸術を超えて、天上の叡智の反映として、幾何学的・数学的な形態と連なりを通じて"ケスレト"を"ヴァフデト"へと (多性を一性へと) 関係づける芸術の認識である。

アッラーの徴(アーヤ)である宇宙とすべての被造物がこのように認識されるとき、物理学、化学、天文学などの諸学もまた、神聖さを表す「ヒクマ(叡智)」となる。それゆえにあるハディースにおいて、「叡智は信徒の失われた財産である。 どこでそれを見いだそうとも、彼はそれを取る」と言われているのである。人間は、見えるものの内奥に覆い隠された神的な知に気づき、それを発見して新しいものを創り出す。イスラーム芸術において、「ムシャッハス(具象)」なるものは「ムジェッレド(抽象)」なるものを語るためにある。文学におけるその対応物が、「比喩(メジャーズ)」「主題(マズムーン)」そして「隠喩(イスティアーレ)」である。実際に観照されるのは宇宙それ自体ではなく、そこにある感受、文様、そして文様の内にある本質と真実なのである。一つひとつの文様は、アッラーの徴の中の一つの「徴」である。それゆえモスクで用いられる文様は、文様と描き手、原因と原因の創造者という関係の観点から選ばれてきた。自然は直接にではなく、暗示と言及によって観照される。人間の存在、存在そして事物それ自体こそが、「ハック(真実在)」および「真理」と「人間」との間にあるヒジャーブ(帳)の最大のものである。それゆえにこそ、存在の彼方(その先)、彼方の彼方(その先のさらに先)を指し示すことによって、「無常」は覆われ (隠され)、必ず「永遠」と「バカー(永続)」へと言及がなされる。文様によって描き手が意図されるのである。事物は、見えるままの姿でその真実を人間に示しはしない。外見から抽象され、滅びゆくものから浄化された後に、観照に値するものとなる。創造の目的を知る人間にとって、空間とは  無空間の世界へと開かれた窓である。人間もまたラーメカーン (無空間) をその内に抱いた空間である。空間とは、壁の内なる空虚、外形(スーレト)の内なる内実(スィーレト)、消滅の内なる永続(無の内なる永遠)を暗示するものである。  真実において形は、事物とすべての存在は、物質の意味に、外形の内実に、外界(アーファーク)の内界(エンフス)に対する鏡である。存在もまた「時間」とはならず、「今(アン)」となる。時間は仮構的であり、次元は無限である (果てがない)…

この理解は、イスラーム芸術におけるテクスィーフ(凝縮)、テルキーブ(構成)、テジュリード(抽象)の意識によって様式化(スタイライゼーション)をもたらした。それゆえトルコ・イスラーム芸術は、自然に存在する隠れた幾何学を発見し、事物の本質に丹念に覆い隠された秘められた世界とその構成に宿る幾何学を、抽象の様式によって人間の認識に差し出し、「事物=見えるもの」に、「人格とアイデンティティ」に、価値を超えた意味と本性を与えるのである。人類の純化(イスティファー)が、人類の頂点たる預言者ムハンマド・ムスタファー (純化された者、選ばれた者) (彼に平安あれ)において完成に至ったように、彼のもたらした宗教の文明においても、事物はこの純化(イスティファー)と抽象の窓から眺められている。それゆえ西洋における意味での――真実ではなく虚偽の顕現であり詠唱である――絵画、彫刻、演劇、小説は、イスラーム芸術にはまったく存在しなかった。その代わりに、細密画、書道、彩飾(テズヒーブ)、見世物芸術、そして民話がある。すなわち、形と外形にはその無常に見合うだけの価値を認めつつ、意味と内実(スィーレト)を選び取る理解と認識が選ばれたのである。イスラームの文化と芸術における世界と事物へのこのような眼差しは、現世と来世の均衡のもとに生と死の真実を正しく把握し、人類の 繁栄とともに、 平安と幸福 もまた極めて重要であることを表しているのである。

イスラーム芸術においては、調和と均整とともに、幾何学的形態とムカルナスにおける"多の中の一、一の中の多"を、すなわち多性の中の統一、統一の中の多性を 表現することによって 全宇宙が、 ルーミー文様においては動物界が、ハターイー文様においては植物界が抽象化され、それによって人間に従属せしめられていることが常に強調されてきた。――これを都市の尺度にまで広げれば、その街路、広場の考え方、庭園の考え方、宗教建築と民間建築における諸規範とともに――一つの文明の体系が立ち現れる。これらは、我々の生と事物への眼差し、事物の認識、世界の構想、宇宙と存在を読み解く仕方の具体的な例である。例えば、イスラーム世界において最も抽象的な芸術の一つである音楽は、単なる娯楽の手段としてではなく、人類の倫理を整え、美しくし、その魂を高める叡智に満ちた、「イルミ・シェリーフィ・ムースィキー(高貴なる音楽の学)」と定義される神聖な学として見なされてきた。

故詩人ナービーは、

「音楽とは叡智にかかわる一つの術にして

知る者にも知らぬ者にも明らかなり。

 

旋律とは魂の論理にして

旋律の悦びは心の奥にこそあり」  と語る。

あらゆるもの、あらゆる形には外形があるのと同様に内実もあり、内なる反映と印象がある。人間は周囲から受け取る印象と感受によって生き、生と事物を、この背景にある形づくられたブラインド越しに眺める。事物と出来事への眼差しは、彼が生きる空間、生涯を過ごす事物と形によって形づくられる。近代世界の事物への眼差しにおいては、「事物とは見えるものにすぎない」。しかし我々の古来の伝統における存在観においては、事物とはハック(神)の顕現(テジェッリー)にほかならない。それゆえ預言者は、見えるものの背後にある見えざるものに言及しつつ、存在の秘義に通暁するという点において、「主よ、私に事物の真実を示したまえ」と祈願されたのである。

この眼差しをニヤーズィー・ミスリーは、

「かの御方は常に威厳(ジェラール)より、また時に美(ジェマール)より顕現したもう

その一より生ずるは楽園、他の一より現れるは業火

 

美が顕れるや、威厳はたちまちそれを捉える

見よ、一輪の薔薇が咲けば、その傍らに棘が現れる」  と表現した。

 

装飾は罪なのか?

西洋におけるルネサンス、バロック、ロココといった潮流の芸術観は、真の意味で「装飾」である。この装飾への熱中は、地理上の発見として我々に提示された、植民地から積み上げられた物質的富の使い道を求める必要から生じたものである。「装飾は罪である」という断定は、この枠組みにおいては的を射ている。しかし形而上学的哲学と美学的哲学が交差するところに、イスラーム芸術は生まれる。イスラームにおいて美は、「アッラー」とともにのみ成り立つ。「アッラーは美しく、美を愛したもう」というハディースに照らして、美とは何かを「アッラー」とともに見いだすことによって成り立つのである。タウヒードに至らない美は美ではなく、人間がそれを美しいと思い込んでいるにすぎない。それゆえ「イスラーム装飾」という言葉もまた正しくない。テズイーナートと文様、すなわち荘厳化とは、豊かな幾何学的背景をもちながらも、  飾り立てるという意味においてではなく、事物がハックと真理を映す鏡であるがゆえに、価値と尊さを付与するという意味においてなのである。

西洋においてポストモダニティの装飾に代わるデリダの脱構築主義の「幾何学」は、この飢餓の中での探求である。一方イスラーム芸術においては、この思想は8世紀以来存在しており、その意味と価値が 理解されることを待っている。     

新しいモスクへのアプローチはいかにあるべきか?

聖クルアーンにおいて大地はマスジド(礼拝の場)とされているため、モスクは本来機能をもたない、象徴としての建物である。イスラームにおいては、本来、礼拝のために特別な建物は必要ない。しかし、預言者がマッカからマディーナへ、より正確にはヤスリブへとヒジュラ(聖遷)されたとき、ヤスリブはそのヒジュラによってマディーナ――すなわち都市文明――となった。イスラーム文明の基礎が築かれたこの都市における最初の事業は、文明の中心として「マスジドを建設すること」であった。  まさにこの理解の枠組みにおいて、時の流れの中でイスラーム建築におけるモスクは、人々だけでなく、人間に属する他のあらゆる美と芸術が一堂に集められる、すなわち「ジャーミー(集めるもの)」である聖なる空間となったのである。この理解によってこそ、我々のすべてのモスクにおいて、イスラーム芸術の中から、書道、装飾、タイル、石と大理石の工芸、金属工芸、ムカルナス、マラカーリー(漆喰彩画)、セデフカーリー(螺鈿細工)、クンデカーリー(組木細工)など、それぞれが独立した芸術分野であるものが個別に表現されてきたのである。

礼拝への呼びかけである"アザーン" が高い場所で唱えられるべきであることは、イスラームの象徴であるミナレットに極めて強い  建築的象徴としての性格を与えている。建築設計においてミナレットを目で取り除いてみて、「この建物を――ムスリムであれ非ムスリムであれ――あらゆる人がモスクと呼ぶだろうか」という問いへの答えは、その建物が本当に優れた設計であるか否かへの答えでもある。ミナレットのない状態で、美しい文化センター、会議場、工場、あるいは鉄道駅でもありうるのではないかという疑念を抱かせるような設計は、いかなるものであれ、表象性が弱く、凝縮の意識が欠けたものにとどまるであろう。新しいプロジェクトにおいては、内部でも外部でもそのまま読み取れる明快な空間によって、生産と消費において人間的次元を見失わず、少ない素材で簡素でありながら簡素さの中に壮麗さを備えた空間において、人に優しいテクノロジーによって、宗教建築と民間建築からなるイスラーム建築の本質である"簡素さと単純さは、難しくもあり、またきわめて容易でもある"というメッセージを伝えるよう努めねばならない。

我々はプロジェクトにおいて、イスラーム建築で用いられてきた比例、調和、均整を実現するために、メートル法ではなく、イスラーム建築で用いられてきたアルシュン「ズィラーイ・ミマーリー(アルシュン)=(75.7738cm)」を用いるよう努めている。我々の建築における調和と均整は、この方法によってのみ実現しうると考えるからである。古典期のモスクの実測図を作成する中で、一定の原則に基づいていることに気づいた寸法のリズムを、古典的なものであれ様式化されたものであれ、あらゆる新しいプロジェクトと建物においても用いるよう努めている。

古典とモダン

頻繁に用いられているので言っておこう。我々は「モダン・モスク」「現代モスク」といった言葉に異議を唱える。そのような区別と理解を意図的に選び取っていないことは、すでに述べたとおりである。スレイマニエが今日使われているのであれば、それは現代のものである。「古典」とは古びることのない新しさである。建築様式とは選択の問題である。西洋では、建築から音楽に至るまで、今なお古典が用いられている例が数多くある。モダニティとは、今日の意味においては実証主義的な宗教である。建築は古典的であるか、あるいは古典の精神と意味の根に結びついた、解釈された様式化・簡素化されたスタイルであるかのいずれかである。このスタイルで建てられたモスクを決してモダン・モスクと呼ぶことはできない。我々の見解では、モダン・イスラームがありえないのと同様に、モダン住宅、モダン・モスク、モダン書道といった言葉や形容も正しくない。伝統とモダニティとの間には美的な共通性と接点がありうるが、伝統の正しい解釈は決してこのようなレッテルを貼られるに値しない。このアプローチと言説は、自らが属する文明圏に対する、自らの価値に対する、欠陥のあるオリエンタリスト的な眼差しである。

新しいモスクの実践においては、抽象化が見落とされ、伝統を把握できず完全には包摂できないという弱さによって、伝統が損なわれ、そこから新たなアイデンティティを発明しようとする試みが見られる。ありふれた住宅建築においては、そのような意図すらまだ我々にないことは明らかである。伝統を正しく把握できず、言及を正しく行うことができなければ、我々は自らの誤りに気づかぬまま、言及によって自らを慰め、欺くことになる。言及はそれだけで真正性を生むものではなく、言及される対象の真正性を問題含みのものにしてしまう。伝統は、その内側から生きられるときに伝統となる。「普遍性」は常に西洋の文化と芸術の形式の内で定義されねばならないのだろうか。「伝統的」で地域的なものを「普遍的」なものと結びつけるという名目で行われていることは、我々自身に属する普遍的価値が存在しないことを告白することではないのか。

文化を先進か後進かと規定する階層的な図式、「ユーロセントリック」な眼差しは、西洋中心のイデオロギー的・政治的な構築物である。伝統とは、普遍的すなわち「ユニバーサル」なものと地域的なものとが出会い、互いを養い、再生産し合う意味の領域である。伝統として現れる形態は、普遍的価値の担い手である。今日我々が経験している文化的な退廃と浅薄化は、我々の価値の摩耗と解体の表れであり、その帰結である。

建物を建てるとき、まず堅固な地盤まで掘り下げて基礎が据えられる。我々は自らの価値を疑い始めたその時から、堅固な地盤を失った。我々がモダン・アートと呼び神聖視している「芸術、様式あるいは道」は、「西洋」 と我々が呼ぶ他者の伝統芸術の延長であり、その上に築かれたものである。この点が正しく理解され評価されなければ、真の「模倣」はまさにここにある。建物は、壊すことによって、あるいは建てることによって学ばれる。我々は模倣しているのではなく、失ったものを探しているのである。我々が行っていることは、まず何を失い、何を奪われたのかを見定めたうえで、「未来を正しく築くために」、250年来忘れ去り断ち切られてきた伝統を、模倣と反復に陥ることなく再発見し、過去の更新可能性とともに伝統の本来の考古学と背景を深く理解しようとする努力である。伝統を顧みることなく、幾世紀の濾過を経た主軸と思想的背景に目を向けることなしには、伝統の本質にある弁証法的ダイナミズムに気づくこともできず、新たな「素材と形態の関係」によって異なる新しい生産を行うこともできない。正しい変化と異なる解釈は、この道によってのみ、揺らぐことなく可能となりうると我々は考えている。

イスラームとモダニティ

西洋が適用する規則の中に、我々が気づかずとも、またその参照点を変えたとしても、"ペイガニズムとキリスト教"、すなわち"宗教"は何らかの形で存在している。西洋において科学と政治は人間に価値を置かない。ヒューマニズムは人間が価値ある存在であるという前提の上に成り立っているが、西洋の科学観からは、人間が「極めて価値ある存在、すなわちエシュレフィ・マフルーカート(被造物の最高位)」であるという思想は生まれない。科学と政治において人間は一つの有機体にすぎない。宗教はヒューマニズムに絶対的な影響を及ぼしているが、モダニティによって参照点から取り除かれ、覆い隠されてしまった。

モダニズムは、イスラームの知的・美的な顕現における流動性と明澄さを濁らせ、これらの顕現の啓示とスンナへの依拠を、この世と彼岸との区別を、構成・抽象・凝縮の意識を解体することによって、その輝きと透明性を汚した。ムスリム世界は世俗化し、もはやイスラームと直接的で真正な結びつきを築くことができなくなった。

モダニティとは、今日の意味においては、普遍的な意味で啓示によって得られる、 叡智、公理、不変の原則の総体との接触を断つことを意味する。今日の内容における モダニズムは、宗教的伝統の正反対として、アーダム以来ムスリムの生を規定してきた  「スンナ」 の観念の真っ向から対立するものである。伝統において「ヒクマ(叡智)」はスンナに相当し、その反対は「アバス(無益)」である。 啓示とスンナの概念が、人類の神的起源をもつあらゆる顕現と発展を表すのに対し、モダニズムはまったく逆に、ただ人間的・物質的な観念を  まとうことによって、神的源泉から完全に断絶した。一方イスラームの文明意識と理解においては、歴史を通じて、それぞれが  一つの学と術を有する124,000人の預言者の啓示に依拠する  スンナに忠実であり続ける。

実際には何が起きたのか?

ムスリムである「人間」は、アッラーの地上における代理人(ハリーファ)として、宇宙をアッラーの一つの顕現と見るがゆえに、観照と観照から得る悦びに満足し、学問的思考を、差異を識別し讃美する観点以上の別の目的に用いる代わりに、天性(フィトラ)を破壊するほどに「人間に必要以上の力を与え、潜在力を負わせる」科学とテクノロジーを、本能的に観照の域を超えて推し進めることはしなかった。あるハディースでは「人間と宇宙は双子(テヴエム)である」と言われている。 事物、宇宙すなわち被造物が損なわれれば、人間もまた損なわれる。イスラームの学者たちは幾世紀にもわたり、ルネサンスとその後のモダニズムの源泉となった、物理学から数学、代数学から天文学に至るまで、学問の発展と発見に関して大きな貢献を果たしてきた。これらの知見が、認識と発見を超えて、娯楽以外の生活において技術的発明という形で反映されなかったことの秘密は、まさにこの点にある。自動で作動する最初の機械を12世紀に製作したのは  アブル・イッズである。最初の飛行を成し遂げたのは、9世紀のコルドバのアッバース・イブン・フィルナス、17世紀の  ヘザルフェン・アフメト・チェレビ、そして1632年に催された祝祭において最初のロケットの原型である七本腕の花火で飛んだ  ラーガリ・ハサン・チェレビである。1720年代のトルコ、スルタン・アフメト3世の治世に造船所で建造され割礼の祝典で用いられた最初の潜水艦を戦争に用いさせなかったのは、イスラームの啓示文明のスンナ観である。「モダニティの科学」だけでは真理に到達するには十分ではない。天性と叡智に導かれた「真の学問」は、人間を科学とテクノロジーの負の側面から守り、現世と来世の幸福を共に考慮する。二度の世界大戦を起こし原子爆弾を投下しえた近代的思考は、「可能なことを制限せず、必ず実行に移す」のである。

もはや、度を越した速度を出す車を生産しながら道路に速度制限の標識を立てるというように、人間の生におけるあらゆる歪みが「正常」に、そして最終的にはきわめて「倫理的」に思われ始める。西洋における近代化は、世界において人間性と「普遍的叡智」の喪失という結果をもたらした。もはやモダニティには、それが失った「叡智」の顕現である「アフラーク(道徳)」は存在しない。人類を包み込むべき「道徳、徳、美徳」の代わりに、生の規範を規定する根拠なき世俗的な「倫理」があるのみである。ボスニアの賢人アリヤはこう語る。

「一人ひとりの人間を愛さない者たちが、人類(ヒューマニズム)という概念を発明したのだ。それを利用するためにも、また安堵するためにも。」

我々が受け継いだ文明の遺産の価値に気づき、その継承のために新しく正しい総合を探求することが不可欠である。建築とは、社会の鏡であり、形の言語である。ある社会において人間的で天性に適った価値が  高められるとき、あるいは混乱と価値の無規定――混沌――が生じ始めるとき、その表れはまず建築に、最後に音楽に見られる。自らを反復するだけで  刷新しない文化は、退廃し、ついには消滅する運命にある。実際オスマン文明においてもそうであった。本来の文化による新たな創作と総合の代わりに、文化的・精神的侵略にさらされ、寄せ集めの輸入文化がそれに取って代わったのである。この病は残念ながら その深刻さのすべてを伴って、オスマン朝から我々の共和国へと 引き継がれ 、大いなる「美と趣味の貧困」の中で今日もなお続いている。現在、本来都市文明であるイスラーム世界の状況は、オスマン朝末期よりもさらに悪い光景を映し出している。都市の文化財は破壊され、どうにか残りえたものも時の忘却に委ねられ、都市はムスリムとしての人格を脱ぎ捨てて、グローバル文化の凡庸さの中で退化し、その唯一無二のアイデンティティを失ってしまった。

結論:

残念ながら我々は、世界を知っているつもりになりながら、見ているものを見ず、読んでいるものを理解しない古びた頭で、近代世界についても、自らの源泉についても無知な状態に陥ってしまった。ここで「モダン」とは、我々にとっての手本となるためではなく、「解読する」ために存在するのである。 

フランスの社会主義哲学者ジャン・レオン・ジョレスは「伝統とは灰を守ることではなく、火を絶やさぬことである」と言う。今日、世界が生み出した文化と芸術の蓄積を真の意味で知り、西洋の参照点を知りながらも、それらからではなく自らの源泉から出発して、この方向と軸に沿って伝統を変容させる努力と思考体系が、我々には必要である。

ウィリアム・チティック  はこう述べている。

「発展、環境、計画、テクノロジーなど、  話し手の必要に応じて定まった指示内容をもたず、絶えず姿を変える  『アメーバ語』は、近代世界の聖なる語彙である。近代西洋社会が、世界のあらゆる民族が従わねばならないモデルを提供していると完全に確信している 人々に、我々は言うべき言葉をもたない。なぜなら彼らにとって、これらの言葉は神聖だからである。その正統性を問うことさえ、モダニティの神々に反逆し、進歩教の異端者となることなのである。」

フリードリヒ・ニーチェは「人間は、木のように高く伸びようとするのに比例して、その根を深く下ろさねばならない。」と言う。残念ながら浅薄さと質の低さの中で、我々には深みに関わる仕事がもはや残されていない…。モダニティとポストモダニズムは帝国主義的資本主義が差し出したもの、その産物である。真の意味でのグローバル化は、モダニティとポストモダニズムの帰結であり、新世界秩序の名づけられていない新しい宗教である。この宗教の祖国は世界、神は金、道徳と正義の観念は法が許す限りの正しさ、そしてその資本は人間である。

イデオロギー的な眼差しと単純なスローガンによって「考えている」と思い込んでいたがために、「モダンになろう、現代的になろう」と唱え続けながら、我々は取り残されてしまった。今日、西洋が そうあってほしいと望む「東洋」 と、それに 反発する「東洋」 とがある。しかし 自分自身であろうとする東洋 もまた、自らの文明と文化の遺産、その美学をほぼ完全に失ってしまったために、その闘いは単なる空疎な争いと喧噪の域を出ることができない。

ある事物――物品、芸術、建築あるいは生産物――が真実で真正なものであろうとするならば、それはヘンデルの『メサイア』ほどにキリスト教の、イトリーの「サラート・ウンミーイェ」ほどに愛の、そのテクビールほどにタウヒードの香りを放たねばならない。ケルン大聖堂ほどに三位一体を、セリミエほどにタウヒードを感じさせ、ダ・ヴィンチほどに外形(スーレト)の、書道芸術ほどに内実(スィーレト)の、顎に拳を埋めたロダンほどに理性の、頭上に鳥が巣をかけたメジュヌーンほどに愛の香りを放たねばならない。ゲーテの『ファウスト』ほどに苦悩し、ムヒッディン・アラビーほどに真理であり、メヴラーナほどに純粋な愛でなければならない。 

西洋化という冒険が始まった時から、我々は生産する代わりに常に批判し異議を唱えてきた。我々の正しさと誤りのすべてを改めて問い直し、我々と同じく「真正で正しい新たな道の探求とはいかなるものか」という苦しみを抱く者たちに、伝統の内側からシェイフ・ガーリブがいかに呼びかけているかを見よ。

 

『美と愛(ヒュスン・ユ・アシュク)』を著した際、「『メスネヴィー』を模倣した」と批判されると、師はそれに答えて、

「その秘義を我は『メスネヴィー』より得たり
  盗みたりとも、そは公の財を盗みしのみ
  汝もまた悟らんと努めよ
  かの宝玉を見いだし、そして盗め」

と述べたという。

伝統と歴史的遺産は、公の財である。問題は、シェイフ・ガーリブのように盗むことができるか、彼が言ったように、あらゆる事柄において「別の言葉で 語った」と言いうるかにある。扉は開かれている。我々もまたこの扉をくぐろうと努めているのである。

ミマール・スィナンの友人であった詩人タシュルジャル・ヤフヤーの一つのベイト(対句)で締めくくろう。

 「内には親しき者たれ、外よりは見知らぬ者と思わせておけ

これぞ麗しき道なり、賢き者たれ、狂人と思わせておけ。」

 

忍耐強くお付き合いくださり、感謝申し上げます…。



[1] 熱意ある勇敢な人々が狂信の罪を着せられる一方で、無信仰者こそが深遠で、周到で、先見の明があるという考えが     新たに現れた。国家の進歩(前進し向上すること)の足かせはイスラームだというのである。以前はそのようなことはなかった。この言説もまた新たに現れたものである。

 

 

Muharrem Hilmi Şenalp

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